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HISTORY

Tanabeの生い立ち

いふもりのこえ

紀州から島根へ。
御縁を頂いて。

今から750余年前。時は、鎌倉時代の1264年(文永元年)。島根の神々に導かれるように、紀州(現在の和歌山県)から島根県の吉田村(現在の雲南市吉田町)へと私たち田部の遠祖が移り住みました。遠祖は、源頼朝が諸国に地頭を配置した際の武将周藤家に仕えていた紀州熊野の庄で、田部家にゆかりのある田辺隼人の庄の子孫であったと伝えられています。はるばる吉田村にやってきて、それからしばらく200年余りのあいだ。中国山地の深い緑に抱かれ、山の恵みを頂き、吉田村で生きることの縁と歓びを感じながら農耕に勤しむ里山暮らしを営んでいきました。

自然は怖い。
自然は優しい。

なぜ自然は怖いのでしょうか。人知の及ばない見えない力を感じるからでしょうか。怖いとわかっていて軽んじるからでしょうか。見えない力とは、すべての植物、すべての動物、海や大地や川や空といったすべての環境の大らかな営みのことです。私たち田部は山とともに歩んできた永い月日のなか、自然への畏敬の念を心に受け継いできました。現在でも自社所有林において、木を伐り出す際には感謝を込めた厳かな神事をおこない、毎月1日と15日の安全祈願祭にはお清めの儀式をおこなっています。人間中心ではなく「共に生きる」という謙虚な姿勢を持つ限り、自然は私たち人間にその尊い手を差し伸べてくれると思います。

感謝の唄を
代々受け継いで。

私たち田部には、古くから受け継がれている餅つき唄があります。「山晴れ晴れ 苗木を植える 嬉し目出度の若苗を」「苗は若苗 杉の木桧の木 やがて黄金の花が咲く」これはその一節です。木を植え、育て、そのいのちを頂き、生業としてきた先達たちは、山の恵みへの感謝を唄に込めてきました。そして、毎年末の行事としてこの唄を歌いながら御餅をつき、山の神様に供え、身近な人々とともに新しい年を迎えることの歓びを分かち合ってきました。もちろん、今もなおその習慣は続いています。どんなに時代が変わっても。変わらない大切なことを、私たち田部は大切にしています。

製鉄にいそしむ。
里山をいつくしむ。

時は流れ、室町時代の1460年。田部家の初代当主 彦左衛門が鉄山を創業しました。耕地の少ない山野生活に、たたら製鉄は重要な仕事でした。広大な山を確保しなければ原料となる砂鉄が採集できません。鈩を燃やす木炭の材となる山の木々も膨大に必要です。事業の継続とは、自然に依拠して生きることそのものであると心得て、私たち田部は山村農民と助け合いながら、たたら文化を全国へ広げていきました。そうして、今日まで550余年。大正末期の頃には、洋鉄の台頭により、製鉄業から製炭業へとやむなく方向転換しましたが、それまで培ってきた山の匠としての経験と技術が、今を生きる私たちの大切な教えとなって様々な事業に活かされています。

林業という仕事。
治山という使命。

単に木を植えて伐るだけが林業ではありません。山の仕事には治山という大きな役割もあり、自然と人が共存共栄していくためには欠かせない仕事です。私たち田部では、植林の際は、100メートル四方で約3000本の苗木を植えます。15年くらい経ち5~6メートルに成長すると1回目の間伐で1000本伐り、さらに30~40年の間にもう1回間伐。間伐を怠ると山の斜面の陽当たりが悪化し、弱く細い木ばかり増え、地域の暮らしを脅かす山地災害の原因となります。間伐をおこなうことで陽当たりも均一になり、丈夫な木々へと育ちます。私たち田部は、大切な地球を健全な状態で保つことに力を注ぎ、次世代の子どもたちへ引き継いでいきたいと思っています。

時を経て育つ、
木を見る目。

島根の気候風土に育まれる自社林の木の魅力はもちろんのこと、私たち田部では先達から引き継いできた長年の経験により、日本各地の山々で育った木においても良し悪しを見極め、また、その販売も手掛けています。ひと言で木といっても、品種は数多くあり、色合いや木目の美しさ、強度、水分など特性もさまざま。お客さまに満足して頂ける一邸を築き上げるためには、構造材として、床材として、建具や装飾としてなど、建築する部位それぞれに適した木材を選定することが何よりも大切です。長い時を経て大木へと成長するように。私たちの会社にも、木の品質を確証する厳しい目利きの技とこころが育っています。

「健築」という、
田部の建築。

杜は、生き物たちがいのちをイキイキと謳歌させる棲家であるように。家もまた、私たち人間のいのちが輝く安住の空間でありたいものです。そういった思いから私たち田部では、単に住むための箱としての住宅を建てるのではなく、ご家族が末永く健康的に暮らせる長寿命な住まいを一邸一邸、お客さまと一緒に築き上げていきたいと思っています。厳選した無垢の木。こだわりの自然素材の数々。心地よい空気環境を実現する先進の光冷暖システム。田部ならではの思いと技術を込めた住まいは、まるで森林のなかで憩うかのような清々しい快適さや安らぎに満ちあふれ、家族の幸せな笑顔を誘います。

たなべの生い立ちのこと

~鎌倉時代から平成の出来事と当主~

鎌倉時代 遠祖 吉田村に入部。(1264年)
室町時代 初代 彦左衛門 神夢により川砂鉄を採集し、製鉄を始める。
戦国時代 二代 源右衛門
三代 五右衛門 土踏鞴(ふいご)を発明
四代 惣佐衛門(通政) 戦乱のため、蔀山城に入る。
安土桃山時代 五代 荘兵衛(通国)
六代 興三兵衛(通年) 蔀山より帰り再興する。
板踏鞴に改良し、鉄の生産増加。鉄山中興とされる。
江戸時代鉄方御用留 享保18年(1733年) 七代 五右衛門(年安) 永代たたらを開設。鍛冶屋を数か所開設。
八代 五左衛門(安邦) 木之下より現在地に移転。町鍛冶屋を設ける。
九代 安右衛門(邦年) この頃「鉄山益々繁盛、金銀如山、米穀満庫」とされる。
十代 長右衛門(元年) 松江藩主より、長右衛門を賜る。
名字帯刀を許され、永代御免屋敷・御扶持を賜る。
木之下金屋子神社を創設。
十一代 祖右衛門(政信)
十二代 長右衛門(元義) 菅谷たたら創建。(1751年)
藩より鉄師頭取に任命される。(1755年)
十三代 長右衛門(満雅) 幕府による鉄座の設置。(1780ー1785年)
松江藩、会津藩より400駄の銑を受注。
十四代 長右衛門(安興)
十五代 長治郎(仲道)
十六代 穂五郎
十七代 長右衛門(興眞) 文政年間の凶作。
十八代 長右衛門(豊房)
十九代 松太郎(倍種)
明治・大正 二十代 長右衛門(周重) 火災により母屋を現在地に移転。(1865年)
二十一代 長右衛門(長秋) 田部私立小学校を設立。
玉鋼をシカゴ万博に出展し、賞を受ける。(1892年)
玉鋼をパリ万博に出展し、賞を受ける。(1899年)
たたらの火が消える。(1923年)
二十二代 長右衛門(茂秋) 貴族院議員
昭和 二十三代 長右衛門(朋之) 吉田村長を務めたあと、島根県知事を3期務める。
戦後、所有する山林の3分の2を手放す。
事業の多角化を図る。
二十四代 長右衛門(智久) 山陰中央テレビジョン放送株式会社社長。
山陰中央新報社取締役会長
ケンタッキーフランチャイズ経営を始める。
平成 二十五代 長右衛門(真孝) 現在に至る

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